前回のコラムをお読みいただいた方から、珍しくメッセージをいただきました。
そのメッセージを拝見し、色々と考えることがありましたので、今回はそのメッセージをもとに、前回の続きを書きたいと思います。
以下、いただいたメッセージの要約です。
石井さんご指摘の状況を「無関心であることに無関心」だと言いたいと思います。
差し迫った標的のない日常生活の中で、我々はその状況に慣れてしまい、それらが他者の協働によって護られているのだとは想像さえしない状態に陥るのです。
しかし、この人びとにとっては、改善のための提案をどんなに詳しく説明されても突然言い出されたことであり、いわゆる上から目線での押し付けと映るのではないでしょうか。
慣れた日常の中で無関心のように見えるのは、無意識のうちに「上から目線を嫌って採る、自分を護る最善の方法」なのかもしれません。(要約おわり)
このメッセージを拝見し、私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
と言いますか、痛いところを突かれた、という表現の方が正しいかもしれません。
確かに、その通りだと思いました。
私自分もそうですが、日常生活には安定を望みます。家族が元気で、仕事が順調で、大きなトラブルに巻き込まれることもなく・・・。
その中で突きつけられる変化、たとえそれが改善のためのものだったとしても、変化には多少のストレスを感じてしまいます。
コンサルタントという仕事は、経営コンサルタントでも金融コンサルタントでも同じだと思いますが、顧客にとってメリットとなる変化を、投資効率(費用対効果)を検証して提案するのが日常です。
少しくらいの犠牲(ストレス)は、メリットがすぐに払拭してくれるのだと信じています。
でも、マンションという日常生活のステージでは、この考えは少し違うのかもしれません。
変化を好まず、利便の向上よりも安定を志向する、このような方が案外、多数を占めるのかもしれません。
マンション管理のサポートという仕事は本当に難しいです。
改善のためにはシンプルさが求められますし、スピートも必要です。
でもそれが気づかないうちに多くの人びとの平穏を壊しているのだったら、スピードよりソフトランディングが望まれるのですね。
マンション管理に上から目線で取り組んだことは今まで一度もないですし、これからもないと言い切れますが、今回いただいたメッセージを真摯に受け止め、これからも精進したいと思います。
[2016年8月10日]